同志社大学 免許資格課程センターにて図書館司書課程を主にご担当される佐藤翔准教授に、「オープンサイエンス時代のジャーナル投稿」と「高等教育における情報リテラシー」を中心にご寄稿いただくシリーズのVol.2 となります。2回目となる今回は、「ハゲタカ雑誌の定義とグラデーション」をテーマにハゲタカ雑誌における定義の難しさ、および国際学術団体 InterAcademy Partnership(IAP)が2022年に発表したハゲタカ雑誌の定義付けについて取り上げていただきました。
「ハゲタカ雑誌」にご用心
研究が完了したとき、その成果をどこで発表するかというのは楽しくも(?)悩ましい問題です。もちろん、「自分の分野・研究室ではまずここ」という定番の学術雑誌がある、という人も多いでしょうし、「そこそこの結果ならここ。なかなかいい結果ならここ。素晴らしい成果ならここ」と内々で格付けが存在する場合も少なからずあるでしょう。しかし世の中に学術雑誌はあふれかえり、しかも日々、新創刊されています。特にここ数年は新興のオープンアクセス雑誌専門の出版社が存在感を増し、既存の学会・出版社でも新たにオープンアクセス雑誌を創刊するケースも多く、今まで投稿したことがないそうした雑誌の中に、もしかして自分の研究成果にぴったりの場があるんじゃないか……という気がしてくることもあるでしょう。大学院生や駆け出しの研究者等、発表経験が少ない方であればなおさらです。
しかし新たな発表の場を検討するとなると、近年避けて通れないのが「ここ、ハゲタカ雑誌じゃないよな?」という懸念です。査読制度のある、国際的な学術雑誌を装いながら、実際はほとんどの論文を素通りで掲載させてしまって著者からのAPC(掲載料)収入をせしめようという問題のある雑誌、いわゆる「ハゲタカ雑誌」については10年ほど前から問題視されはじめ、日本でも毎日新聞の熱心な報道を契機に存在が知られるようになってきています。2021年には文部科学省が全国の大学を対象にハゲタカ雑誌への対応状況を調査し、結果を公表しました。それによれば国立大学では8割以上がパンフレット作製や注記喚起など、なんらかの対策をとっているとしており、実際に大学からそうした呼びかけを受けた、という方も増えてきているかと思います。もし知らずに投稿し、掲載されてしまえば研究者としてのキャリアに傷がつくことになるかもしれず、そこまでいかなくともなかなか取り下げに応じてもらえず、まっとうな雑誌での発表機会を失ってしまうといった実害が出ている例もあります。一方で、そういう雑誌だと知っての上で業績の水増しのために活用する、あるいはまっとうな雑誌には掲載してもらえないような疑似科学的内容を、そういう雑誌を狙って発表するといった研究者による「悪用」の実態もしばしば報告されるようになってきています。近年のリサーチ・インテグリティをめぐる問題の中で「ハゲタカ」は大きなトピックの一つとなってきています。
意外と難しい「ハゲタカ」の定義
しかしそうして問題視される一方で、実は研究者の間でも、何を「ハゲタカ雑誌」と呼ぶのか、その定義はなかなか定まってこず、人によってまるで違うものを「ハゲタカ」と呼んでいます。例えば「〇〇社の雑誌は高いAPCを設定している。ハゲタカだ、けしからん」など、儲け重視主義の商業出版を指して「ハゲタカ」と呼ぶ人がいます。しかしそれを言い出してしまうと前回の連載で見た通り、現在のほとんどの学術出版は購読料もしくはAPCという形でアカデミアに多くの負担をかけており、一方で大手の商業出版社はどこも高い利益率を誇っています。儲け重視=ハゲタカなら、現在の学術情報流通の担い手のほとんどはハゲタカということになってしまい、問題の焦点がぼやけてしまいます。
また、雑誌の質が低いことを指して「あの雑誌はひどい論文を掲載している、ハゲタカじゃないのか」と言う人もいます。実際、毎日新聞の初期の報道ではハゲタカ雑誌を「粗悪学術誌」と呼んでいました。粗悪とは質が低いことですから、ハゲタカ=質が低い、ということになります。ここでいう雑誌の「質」とは編集サービス全般、すなわち査読の進め方や掲載可否の判断基準はもちろん、校正時のやり取りやきちんとしたチェックがあるか、編集委員会の体制(恣意的な掲載判断があったりしないか)、さらには紙面の美しさやWeb版ならサイトの安定性等も含んできた話になります。ただ、大手商業出版社に比べて、小規模の学会出版や、研究者がほとんど手弁当でやっているような大学紀要等であれば、こうした「質」に問題が出てくるのは致し方ないケースもあります。その中には手が足りないながらも成果発表の場を作っていこう、分野を盛り上げていこうとしている雑誌も多く、それらをまとめて「ハゲタカ」呼ばわりするのは問題があります。
一方で、誰の目から見てもそれは「ハゲタカ」だろう、というラインも確かにあるはずです。ハゲタカ問題に対処するためにはまずそのラインを定めなければいけない、ということでハゲタカに関する有識者が集まり、検討を重ねた結果をまとめた論文が2019年、Nature誌で公表されました。その論文ではハゲタカを「学問を犠牲にしてでも自己の利益を優先するもの」であると定義し、その特徴として「虚偽あるいは誤解を招く情報(の掲載・公開)」、「編集・出版に関するベストプラクティスからの逸脱」、「透明性の欠如」、そして「攻撃的・無差別な勧誘」を挙げました。単に質が低いのではなく自己の利益=儲け重視主義であること、同時に儲け重視なだけではなくそれが「学問を損なってもいい」という態度に達していることの両方を以て「ハゲタカ」であるとしよう、というわけです。
「ハゲタカ」のグラデーションと見分けるための兆候
Nature誌掲載の定義は「ハゲタカ」のコアに関するものとして多くの関係者が賛同したものであり、異論の余地は少ないものです。ただ、この定義をごろんと出されても、「で、この雑誌はハゲタカなの、そうじゃないの? 投稿しても大丈夫?」という現実的な問題の解決にはすぐにはつながりません。そこで2022年、世界の科学アカデミーが参加する国際学術団体、InterAcademy Partnership(IAP)がハゲタカの定義を一歩進め、ハゲタカ問題を「スペクトラム」として捉えよう、ということを言い出しました。スペクトラムとはあいまいな境界を持ちつつ連続していることですが、日本においては同様の状態は「グラデーション」と言った方がイメージがわきやすいかと思います。前節でも触れたとおり、間違いない「ハゲタカ」も確かにある一方で、そうとは言い切れないけれど学術出版としてそれはどうなの、という質の問題や、儲け重視主義の態度の問題もある。時には確固たる地位のある出版社が、そうした問題のある行動をとってしまうこともある。それをグラデーションとして描こうというわけで、IAPは最も悪質な「詐欺雑誌(Fraudulent)」から、最も問題のない「質の保証された雑誌(Quality)」までの7段階として表現しています(各段階については拙訳図参照。※前掲のIAPのレポート中の図2.1「雑誌におけるハゲタカ的振る舞いのスペクトラム(A spectrum of predatory behaviours for journals)」に基づく。なお表現は適宜、意訳しています)。
このうち「詐欺雑誌」や「欺瞞雑誌(Deceptive)」が文句なしのハゲタカです。「詐欺雑誌」は著名な雑誌そっくりのサイトを作って著者をだまして論文を投稿させ、APCを得ようという「ハイジャック」誌や、自身の雑誌の箔付けのために他の雑誌の掲載論文を無断転載するなど、完全な犯罪に手を染めている雑誌。ほとんどアカデミアをターゲットにしたフィッシング詐欺のようなもので、実際IAPのレポートでは、雑誌ではなく国際会議の場合ですが、「詐欺学会」の最悪なケースでは口座情報を抜き取られて不正引き出しの被害にあう、といった話も紹介されています。絶対に避けたいところです。「欺瞞雑誌」はそこまではやっていないけれど、ウェブサイトに掲載されている編集委員会が嘘である(勝手に研究者の名前を掲載している)、出版社の所在地が嘘である(本当は別の地域にあるのにアメリカやヨーロッパの出版社を名乗っている)、本当はインパクトファクターがついていないのにインパクトファクター風の謎の指標を掲載している等々、虚偽、あるいは誤解を招く表現で論文を集めようとしている雑誌です。そのうち最も重大な嘘は、きちんとした査読があるとうたっているけれど、実際は全部素通り、あるいは著しくゆるゆるである、という点にあります。
「詐欺雑誌」や「欺瞞雑誌」は絶対避けたいとして、扱いが微妙になってくるのが3段階目以降、質に問題がある雑誌です。「詐欺」「欺瞞」との境目は虚偽の情報で研究者をだまそうとしているかどうかにあり、端的に言って「詐欺」「欺瞞」雑誌は訴えれば勝てるでしょうが(きちんと訴訟になるかは別として)、「認めがたいほど質が低い(Unacceptable low-quality)」雑誌から下は訴えても勝てないだろう、とIAPは述べています。このうち「認めがたいほど質が低い」雑誌はあまりに質が低いので嘘はついていないのに学問を損なう雑誌で、かつ学術雑誌としての使命よりも利益を優先しようというもの、とされています。査読が雑、掲載論文の不正に対応しない、そもそも編集委員会の連絡先がわからない、といったケースが該当します。以下、受け入れがたいというほどではないが質が低い、がんばろうとしているけどまだまだ質が低い……と、質の低い雑誌にも段階があり、かつそれは「典型的な特徴」をどれだけ満たすかで決まる(満たすほど質が低い)、とIAPは述べています。
実はハゲタカ雑誌に注目が集まりだした当初、問題視されていた雑誌の多くはこの「質が低い」段階に属する、と佐藤は考えています。例えばBenthamというオープンアクセス出版社について、勧誘メールが鬱陶しいということで敵視した研究者が機械生成したでたらめな論文を投稿したところ、査読を通過した、という事件がありました。APCを得たいオープンアクセス出版社がまともな査読をせず論文を通した初期の事例なのですが、Benthamは「詐欺」「欺瞞」雑誌に該当するような団体ではなく、その後も出版社として活動を続け、最近では「ハゲタカ」と目されることは少なくなっています。まっとうにやろうとしている出版社や雑誌でも、論文が集まらないとおかしなものを通してしまったりすることもある、ただやる気があればそれは改善していくこともあるわけです。「詐欺」や「欺瞞」雑誌の場合は、利益のみが目的で学問に関するやる気は特にないので、こうした改善は望めません。もっとも、投稿する側としては例えやる気があるんだとしても、現状の質があまりに低い場合にはやはりリスク(そこで発表しても成果として認めてもらえない、下手をすると不正をしようとしたと目される)があるわけで、そうした雑誌は避ける、という選択が無難かもしれません。ただそうしてずっと避けられていると、いつまでも雑誌の質が上がらないというジレンマが生じます。自分が編集委員など、雑誌運営にかかわる立場になったときには、雑誌の改善を応援しつつ自分も投稿する、といった態度が必要になるかもしれません。
グラデーションの下側に位置するような雑誌でも、疑わしい振る舞いはありうる、とIAPは指摘します。例えばハゲタカ問題でしばしば白熱するのがオープンアクセス出版社、MDPIの評価です。同社も初期にはハゲタカ呼ばわりされることもありましたが、現在は確固とした評判を築いている……はずなのに、今でも「ハゲタカなんじゃないか」と批判されることがしばしばあります。IAPは同社が投稿から掲載までの日数の短さ(つまり査読にかかる期間の短さ)を売りにしていることについて、それは査読の厳密性を、著者からの評価のために犠牲にしているんじゃないか、と疑問視しています(同様の指摘はPeerJなど他の出版社に対してもなされています)。ハゲタカの中には査読期間の短さを強調するところも多いのですが(そもそもまっとうにやっていなかったりするので短いのは当然なのですが)、それと競争しようとすれば質が高いとされる側の雑誌でも、そのありようを損なってしまいかねないということで、過度の商業主義をIAPは戒めようとしています(IAPのレポート中での見解です。査読が短いことは研究のサイクルを回すうえでは大事なことなので、それを責めるのもどうなのか、という意見もありえると思います)。
もちろんこのグラデーションとにらめっこしていても、自分がこれから投稿しようという雑誌がどこに位置するかすぐにわかるわけではありませんが、「ハゲタカ」にもグラデーションがあることを認識することで、投稿先を決める際の一助にはなるのではないでしょうか。そして自分が雑誌を運営する側になった場合には、(「詐欺」「欺瞞」は論外として)質の部分の決定要因をどう改善していけるかの参考にもなるものと思います。