研究の実践と出版におけるテクノロジーの役割についての議論は、デジタル時代で研究を推進するためのツールが中心になりがちです。たとえば、文章作成のためのソフトウェアや、研究参加者や研究者仲間、関係者と協働するためのコミュニケーションツール、既存の研究成果を活用するための学術データベース、自分のデータを管理・共有するためのデジタルリポジトリなどがあります。しかし、研究の理念的な目的を達し、研究コミュニティが求める水準を保持するためのテクノロジーの可能性についてはあまり注意が払われていません。
テクノロジーは、正しく活用されれば人間の生産性を高める強大な力になることは多くの人が認めており、ベテラン研究者の研究の一貫性を支え、若手研究者の責任ある研究実践にも役立つはずです。それは、研究公正と研究不正への脅威が続く現在の研究環境において、とても重要です。このことに関して、アカバナコンサルティングの創設者兼CEOである、マシュー・ソルター博士も以前のインタビューでふれらており、出版業界や学術界・産業界での幅広い経験をもとに、ハゲタカジャーナルやクローンジャーナルの問題や、自己剽窃や不注意による盗用・剽窃について洞察を共有していただきました。
今回は、テクノロジーによる研究支援というテーマで、テクノロジーを活用して研究者の注意義務を支援し、研究成果や出版物を科学的な記録に残す方法について、ソルター博士の洞察をまとめています。
研究と出版におけるテクノロジーの現状
「テクノロジーのまえに教育学」とは、ここ数十年の間に学術界で生まれた哲学であり、教育実践をテクノロジーに置き換えるのではなく、補完する形で責任を持ってテクノロジーを導入することを示しています。この哲学は、教育目的とテクノロジーの効果を一致させる必要性を示しており、テクノロジーを純粋に目的達成の手段とみなすか、より変革的な力をもつものと期待されているかにかかわらず、今回の議論にとって重要な視点です。中等教育および高等教育では、教育テクノロジーを形成的学習のためのツールとみなす考え方が一般的となっていますが、その先の研究業界においては、テクノロジーは主に、その利便性と効率性で評価されがちで、形成的なツールとしてはあまり受け入れられていません。
たしかに、物理的な行動が制限されるコロナ禍においても、テクノロジーにより遠隔かつ非同期でデータ収集や研究が可能になり、研究が継続できた例は数多くあります。また、2020年以前も、テクノロジーはグローバル化した世界での学際的な研究活動に欠かせないものとして着実に浸透し、ワークフローを合理化し、研究成果の量とスピードを向上させてきました。また、出版面でソルター博士が目の当たりにしたのは、研究と研究の商業化の発展に加えて、査読プロセスへのテクノロジーの影響でした。
毎年およそ180〜200万本の論文が出版される現状について、ソルター博士は「論文の投稿数」は少なくともその2倍にのぼるはずで、その数はリジェクトされたり他のジャーナルに再投稿されたりする論文数と一致すると説明します。論文が投稿されると、出版社はすべての投稿について、査読に進めるか、編集デスク段階でリジェクトするかを評価する任務におわれます。
「効率を最適化しつつ、最大限の注意をはらって」作業をこなさなければなりませんが、それらすべてを手作業でこなすことは不可能であるとソルター博士は指摘し、ターンイットインのiThenticate(アイセンティケート)といった盗用・剽窃の疑わしい箇所を検知するための類似性チェックツールの使用が出版社で増加していると述べます。ソルター博士の説明によると、そのようなツールは、論文の無作為選別から始まり、人間の目による補完的なチェック段階まで、すべてのプロセスで活用されています。盗用・剽窃の疑いや画像操作に気づき、不正行為を見落とすリスクを減らすことで、科学の健全な発展を進めていく上でなくてはならない存在になっています。テクノロジーのおかげで研究がより早く前進することは間違いありません。
では、テクノロジーはより責任ある研究にも効果があるのでしょうか?
リサーチライティングにおける形成的なツールとしてのテクノロジー
学術不正や研究不正を防ぐための、いわゆる剽窃防止ソフトウェアのようなテクノロジーが、崇高な目的のために活用されています。しかし、純粋に懲罰的・受け身的な手段としてそのようなテクノロジーに過度に依存すると、その価値が損なわれ、それを活用する学術界や大学院生に悪影響をもたらします。学術機関や出版社においては、信頼できる類似性チェックツールが、盗用・剽窃から生まれた研究成果を無効化するために重要な規制機能を果たしています。では、研究機関ではテクノロジーの可能性を十分に活用して不正行為を抑止できているのでしょうか?
この問いに答えるためには、研究公正についての前向きな価値観に基づいたテクノロジーの活用と、受け身的に不正を検知して研究公正を執行するためのテクノロジー活用について、両者の対立関係を解消する必要があります。そのような対立関係については、南オーストラリア大学のマカロックらが2022年におこなった、博士課程教育におけるターンイットインの研究公正ソフトウェアiThenticateの活用についての研究で調査されています。盗用・剽窃を防ぎオリジナルの成果を自信をもって発表するための類似性チェックツールとして、世界中のトップクラスの研究者や出版社、学者から信頼を集めるiThenticateについて、南オーストラリア大学は、教職員および大学院生が、学位論文の執筆や研究のプロポーサル、学会用の論文や記事作成のなかでiThenticateをどのように活用しているか、自己報告を分析しました。
大学で重視されるのは、不正行為の取り締まりなのか、リサーチライティングの改善なのかを分析した結果、「全体として、大学院生や教職員はiThenticateを論文投稿をサポートするツールと評価しており、膨大な文章の修正を助けてくれ、パラフレーズ(言い換え)スキルや自分のアイデアをより巧く表現するための方法を学べるツールであると感じている」ことが分かりました。これは、研究公正ソフトウェアが研究者の責任を有意義にサポートするというソルター博士の見解とも一致していますし、監督者や教育の一環として組み込まれている場合はとくにその傾向が強くなります。
上記の研究をさらに詳しく見てみると、「iThenticateを盗用・剽窃を防ぐために使いましたか?」との質問に、89%の大学院生が「はい」と答えています。さらに、「iThenticateは、修正が必要な箇所を特定するのに役立ちましたか?」という追加質問に対しても、肯定意見が86%という高い結果が得られました。最終的に、「iThenticateがライティングの改善に役立った」という質問に対しては、83%の方が「そう思う」または「強くそう思う」と回答しました。
このような結果はソルター博士の考えとも一致しています。博士は、リサーチライティングのスキルのギャップはよくあることで、とくに母国語以外の言語ではその傾向が強いこと、そして、テクノロジーが論文執筆中にリアルタイムで、最適な引用方法やアイデアの構造・合成方法などを理解するのに役立つと考えています。さらに博士は、「学術機関が研究公正のためのテクノロジーをサポートし、利用できるようにすれば、それは大きな助けになると思います」と述べ、オリジナリティを維持し、パラフレーズといった難しいスキルを身につけるためには、文法チェックだけのテクノロジーでは不十分であると明言しています。
研究者の活動を支援し、研究公正の担保を支援するツール
研究コミュニティにおいて、研究不正の完全な根絶は現実的ではありませんが、テクノロジーにより新たな抑止の仕組みを作りだし、責任ある研究実践に故意に背いたり、あるいは不注意で不正行為をしてしまう研究者の行動を変えることはできます。テクノロジーが習慣形成に役立つことに意義を唱える人は少ないでしょう。研究水準や方針に沿って責任をもってテクノロジーを活用すれば、研究公正にポジティブな影響を与える力となります。もちろん、前向きな研究習慣を確立するには早いほど効果的であるため、高等教育機関は、学生や研究者のアカデミックキャリアを早期に支援するテクノロジーへ投資すべきです。
ソルター博士が言うように、最大限の注意を払っても研究には間違いがつきものであること、研究者としての立場を守るためには、厳格な審査にも立ち向かう姿勢が重要であることは間違いありません。ソルター博士は、盗用・剽窃の可能性や不適切な引用をチェックするツールを、研究者個人が、他者の視線にさらされて評判を損なう前に間違いを自分で修正できる、スキルアップの一形態であると考えています。
「研究公正の担保を支援するツールの活用に関して本当に重要なことは、誠実な研究活動を実践するために役立つことだと思います。このようなツールを使うことに罪悪感を感じる人たちに会ったことがあります。かれらは、盗用・剽窃検知ツールを使うことにどこか後ろめたさを感じていますが、私はそれはまったく逆だと思います。盗用・剽窃検知ツールを使うことは、責任ある研究者であろうとすること、本当に正しいことを心がけていて、不注意で一線を越えてしまわないよう注意を払っていることの証なのです」 - マシュー・ソルター博士
テクノロジーを避けるのではなく受け入れるもうひとつの要因として、出版社の査読プロセスとの親和性が挙げられます。出版社の大半は、iThenticateやその他のアカデミック・インテグリティや研究公正のためのソフトウェアを 投稿論文の精査に活用しています。ソルター博士は「私の知っている信頼できる出版社はすべて、社内プロセスのなかでiThenticateか類似のツールを用いています」と述べます。しかし、編集スタッフからは「私たちスタッフの不正行為を見抜く力は信頼できないのか」という反発が起こることもあります。それに対してソルター博士は「もちろん信頼しています。しかし所詮人間ですし、やるべき仕事もたくさんあります。頼りになる高品質のシステムに手伝ってもらうのは理にかなっているでしょう。テクノロジーは専門家に取って代わるものではなく、重要な支援をしてくれるだけなのです」と答えました。この博士のメッセージには、テクノロジーを、特定の研究関係者の欠陥を指摘するものではなく、注意義務のチェックを容易にするものという考えが含まれています。
より一般的な研究管理の側面に焦点を移すと、基礎的なテクノロジーは、研究プロジェクトの大切な節々で、データの保存・再現・管理において重要な役割を果たし、不明瞭な点を減らすことができます。ソルター博士は、「データが健全に整理されている研究は、整頓されたキッチンと冷蔵庫を持ち、肉がいつ冷蔵されたかを推測する必要がない状態と同じです。テクノロジーは研究を整理するのに役立ちます」と述べます。具代的には、テクノロジーで直感的かつ正確に実施できる、文書やデータの「バージョン管理」を強く支持しており、それは、査読や共同研究のための誠実で整理されたデータ共有という点で重要であると指摘します。
研究におけるテクノロジーの次のステップ
ネイチャー誌に掲載された「Research integrity: nine ways to move from talk to walk(研究公正:空論を実践にうつす9つの方法)」と題する論文で、著者らは「Standard Operating Procedures for Research Integrity (SOPs4RI:研究公正のための標準作業手順)を特定しました。それは、より責任ある研究実施のための3つの領域と9つのトピックで構成されています。研究公正の管理に向けて、学術機関がより明確な計画と手順が求められるなか、テクノロジーは実用面と意識面でどのように役立つのでしょうか? SOPs4R1の「支援」の領域では、博士課程の学生の監督、研修、および指導について、「組織」の領域では、公正なデータを整理・共有するための研修、インセンティブ、インフラについて触れられています。ソルター博士は、それらの重要性に同意し、学術機関がこのようなガイドラインに沿って研究公正の文化を築く責任を果たすためには、テクノロジーが役立つ可能性があると指摘します。
最後に、ソルター博士は不正行為の発見と抑止を追求するあまり、研究者をすぐに非難してしまうことに注意を促し、"大学側が研究公正ツールを「取り締まりや規制機能としてではなく、教育の一環」として見直すべき"とするマカロックらの見解を後押ししました。今後、これらのツールで何ができるのかを学び、研究管理の付属品ではなく、重要かつ不可欠な部分として取り入れること、そして組織レベルでテクノロジーがより活用されることをがますます期待されるでしょう。